『三代回顧録』の世界(1)『三代回顧録』の刊行

松村謙三文書(松村家所蔵)の中に、小さな封筒に収められた62枚の写真がある。1964年9月25日にホテル・ニューオータニ大広間で催された『三代回顧録』出版記念祝賀会の写真である。誰が撮影したのかは、もう分からない。封筒に「上野」とあるから、晩年の秘書をされた上埜健太郎氏(現櫻田会評議員)にあづけられたものだろう。

1964年9月26日付の『北日本新聞』の記事によれば、祝賀会の発起人は、川崎秀二、竹山祐太郎ら親しい友人ら100人。当日の参会者は約800人を数えた。政界からは河野一郎副総理兼東京オリンピック担当大臣(当時。以下、同様)、川島正次郎自民党副総裁、三木武夫同党幹事長、清瀬一郎元衆議院議長ら錚々たる面々が200人、財界からも石川一郎経団連顧問、河合良成小松製作所会長ら100人、言論界からは200人、県人会100人、富山県からも50人、早稲田などの関係者が150人という内訳であった。

 松村は、壇上あいさつに立ち、次のようにのべた。

私の著書は、10年程前、郷里の北日本新聞に思い出をつづったもので、本にするつもりはなかった。ところが、私と親しい各新聞社の記者諸君の目に留まり、それらの記者が出版しろといい、進んで労をとってくれた。激しい変転を経た三代にわたる見聞をふん飾なしに書いたもので、それが本になり今日このような盛大な祝賀会を開いていただき感謝に絶えない。

『北日本新聞』1964年9月26日付

好評を博した北日本新聞の連載を一冊にまとめたのは、松村の師・町田忠治が創刊した東洋経済新報社であった。同社副社長の宮川三郎は同郷の富山県出身という縁もあった。

会では、河野、川島、三木、清瀬のあと、松本重治、永井道雄、片山哲、吉田富山県知事らが続々と祝辞を述べた。中でも片山は、松村とは政党を異にしていたが、参会した中保与作(富山県出身の評論家。松村が編纂委員長となった『永井柳太郎』の執筆者)によれば、次のように語っている。

片山さんは、祝賀会席上、私に”三代とはなんのことだろう”というから”明治、大正、昭和を指す”と答えると、松村さんの長い広い政治生活を称え、”ああそうか”と。(そして)祝辞に”おそらくこの三代を通じてその政治的信念を一貫した政治家は松村さんをおいてほかにないだろう”と語った。

中保与作「松村氏の『三代回顧録』(上)『北日本新聞』昭和39年10月19日付

確かに、松村の足跡は、戦前・戦中・戦後と一つの信念で紡がれている。そのことを、売り出し中の評論家であった藤原弘達明大教授は、日本経済新聞に掲載された『三大回顧録』の書評で、次ぎのように述べている。

松村老は、いまの日本の政治家のなかで、最も保守主義者らしい保守主義者だといってよかろう。保守主義者というのは、単なる反動主義者でもなければ、偏狭的な過激主義者でもない。過去の良いものをできるだけ守りながら、変転する未来へ対処してゆくことが、保守主義者の本領だといってもよい。松村翁の80年に及ぶ人生、明治・大正・昭和の三代におよぶ政治活動が、この本では実に淡々として語られている。保守主義者というのは、こういう人間だという証明のような語り方だ。この本では妙に肩を張ったり、誇張したところなど全くない。まことにこの人の人柄と思想のにじみ出たような回顧録であり、読んでいて楽しいのだ。

藤原弘達「淡々とした側面史 松村謙三『三代回顧録』」『日本経済新聞』昭和39年9月21日付

藤原の評価は、『三代回顧録』の世界の本質や松村の政治家としての個性を鋭く突いている。もっとも、淡々としつつも「読んでいて楽しい」語り口は、早稲田在学中から8年間にわたった郵便報知新聞の記者時代の修練の賜物でもあったろう。

また、多くの書評が、郷里の富山県、早稲田大学、憲政会―民政党に連なる多彩な人脈、松村の丁寧で几帳面な人間づきあいの様子に言及している。松村が培った幅広い人脈は本書から語らずしてにじみ出る。さらに、保守第二党ともいわれた進歩党―憲政会―民政党に連なる人脈は、私たちに、彼らが日本政治史上に占める意義を改めて再検討しなければならないことに気づかせてくれる。ある書評子が言うように、松村は「戦後政友会―自由党系が主流となった保守政界において、一貫して改進党の流れをくむ政治家たることを誇りとする」政治家であった。それこそ、松村がひそかに望んでいたことかもしれない(八代建郎「松村謙三『三代回顧録』」『サンデー毎日』1964年12月29日号)。

ただ、松村の奥ゆかしさが、自分が何をしたのかをあまり語らせたがらないのが最大の物足りなさだ。藤原が、前述の書評を次のような一文で結んでいることには賛意を禁じえない。「政治家が『回顧録』を書くようになったらおしまいという説もあるが、それは回顧する内容のない場合である。松村翁の場合は、もっと書き残しておかねばならないことがあると思うが、どうであろうか」。文章の端々から、松村の考えや松村の役割が浮かび上がるとはいえ、足りないところは、残された資料を用いて、第三者が語るしかない。 

『三代回顧録』が描き出す世界とはどのようなか。そして、そこからどのような政治家の姿と政治史が浮かび上がるだろうか。見ていきたい。(武田 知己)